竿無し男子の治療記録

竿無し男子の人生記録

性同一性障害の治療情報、恋愛事情、日常など

Youtubeをはじめました!

お久しぶりです。

ブログの投稿が滞っており申し訳ありません。

この度、Youtubeをはじめたことを報告します😀

 

初めての投稿がたくさん視聴されているので、

リンクを貼っておきます。

www.youtube.com

 

きっかけ

私自身、ブログよりもYoutubeで何でも情報収集するようになったからです。

また、FTM当事者でYoutubeされている方って、顔を出している方が多いと思いますが、実際は公にせずひっそりと暮らしている人の方が多いのが現状です。今回顔を出さずにVlog風に撮影することにより、当事者のリアルな日常を伝えられたらなと思い動画を出すことを決めました。

 

このブログでは、「情報提供」を目的にしていましたが、Youtubeでは情報提供含め、私の素朴な日常を見ていただけたらなと思っています。

 

 

このブログも読んでいただきありがとうございました。

 

【埋没FTMの就活】面接でカミングアウト!

今日は3年前にした就職活動について振り返っていきたいと思います。

 

僕は2018年に教育業界の中小企業に入社しました。

実際に就活していたのは2017年1月〜5月くらいです。

 

当時の治療歴はというと

・ホルモン歴3年

・胸オペ、乳首縮小済

・大学やアルバイト先では男として埋没生活を送る

・戸籍は女性のまま

 

といった感じです。

 

 

 

僕の就活スタイル

①気になる業界や企業の説明会に参加

②履歴書には「男」に丸、メンズスーツの写真を貼る

 改名後の男性名を記入。

③面接の雰囲気をみてカミングアウトしたりしなかったり

 

 

みたいな感じ。

正社員で就職するには、公的な手続きがあるので、戸籍上の情報が会社側に知られてしまいます。なのでどこかのタイミングで言わないとです。

選考途中の面接でカミングアウトできなかった場合は、内定もらってから人事に相談しようと思っていました。

 

 

カミングアウトの内容

面接って嘘つくの難しくて、素直でいることが一番自分を魅力的にアピールすることができると思います。

面接の質問によっては、トランスジェンダーであることをカミングアウトしないと説得力のある話ができないと感じました。

 

例えば、、

「人生で一番辛かったことは?その壁を乗り越えた経験談は?」

「自分が一番大切にしている価値観は?」

など。

 

 

会社によって、カミングアウトしても平気そうな雰囲気があれば、アピールポイントとして僕は素直に話していました。

 

 

トランスジェンダーであることを強みにする

トランスジェンダーであることを強みにして面接に挑むこともひとつの手段です。

賛否両論あると思いますので個人的な意見ですが。

 

①印象に残りやすい

②ポジティブさが伝わる

③男女どちらも仲良くなりやすい→コミュニケーション能力がある

④決断能力がある

⑤多様性を大切にできる

 

伝え方やその人によってですが、上記のようにアピールできるのではないかと思います。

それを裏付ける体験談や自分の考えをしっかり伝えれば、プラスに捉えてくれる面接菅もきっといるはず。

 

大切なことはポジティブに堂々と伝えることです。

 

 

 会社側の反応

想像していたより、就職活動は大変ではありませんでした。

初対面の人にカミングアウトすることには慣れていませんが、想像以上に想いやりのある返事が返ってきてびっくりしました。

内定をもらった2社とその他の企業のエピドードをまとめてみたので、参考にしてみてください。↓

 

 

体験談①

・教育系中小企業(内定)

特徴:平均年齢若めの会社、外国籍社員多い、女性管理職の割合多い

 

一次選考:

グループディスカッション

 

二次選考:

女性社員と1対1の面接。

留学の話の流れでカミングアウトしましたが、何事も無かったかのように自然に話を進めてくれました。

 

三次選考:

人事の男性社員と1対1の面接。

性についての話を再度話してみました。「一次面接で対応したものからしっかり聞いているので安心してくださいね」とのこと。

 

最終選考:

50代くらいのおじさん役員にプレゼンテーション。

お題は「いま社会で問題だと感じていること」

これはもう自分の為にあるようなものだと思いました。

テーマは「LGBTと教育」について発表し、NPOでの活動や普段自分自身が感じていることなど熱弁しました。

全く嫌な顔されず、むしろかなり興味を持って聞いてくれました。

 

人事の人との最終意思確認の面談:

20代後半の女性。

この人事の人がとっても良い方でした。

「なにか会社側で力になれることはありますか?」「配属先の上司には話した方が楽ですか?」など、とても協力的でさすが人事の方だなあと感じました。

 

5月の前半に内定をもらえたので、選考途中の会社は全て辞退し、

この会社に入社することを決めました!

 

体験談②

外資、大手企業(内定)

特徴:アメリカ資本の会社、歴史が長い、年齢層は40代が多い。

 

一次選考:

グループディスカッション

 

二次選考:

人事の男性1人女性1人と面接

面接の中でカミングアウトするタイミングはありませんでした。

「最後に○○さんの中で気になっている点や、私たちに知っておいて欲しい点はありますか?」と聞かれたのでそこでカミングアウト。

二次選考通過のメールと一緒に、「性別についての情報を、最終選考菅に伝えてもいいですか?」と許可の連絡がきました。

 

最終選考:

英語で面接。4対1でかなり緊張。

性については何も触れられず終了。内定もらえました。

 

 

いろんな理由があって内定は辞退しました。

 

 

その他の企業

書類選考の時点でカミングアウトした企業もありました。

(性別欄には男で丸をつけ、学生時代に頑張ったことなどの欄に、トランスジェンダーであることをカミングアウト)

・書類通過した企業もあり(大企業)

・もちろん通らなかった企業もあり

 

 

と言った感じです。

 

 

まとめ 

就職活動のやり方は人それぞれですが、

トランスジェンダーであることをカミングアウトして臨む場合、下記の3つのことを少し意識してみてください。

 

1、性別のせいにしない

履歴書で落とされても、最終選考で落とされても、落ちた理由を性別のせいにしないこと。企業が見てるのは、性別ではありません。まず、自分自身が性別にとらわれないことが大切です。

お祈りされたら、「縁が無かったんだ」と切り替えてどんどん次に進みましょう。自分だけではなく他の学生も何十回もお祈りされています。

 

2、ポジティブでいる

これは、就活生全員にも言えることですが、、、。

カミングアウトするんだ!と決めたらもう自分自身をポジティブにアピールしましょう。

働く上でポジティブさはとっても大切ですし、どこも前向きな人材を求めています。

 

3、業務上に支障はないことを伝える

性同一性障害」と聞くと重く受け止められやすいので、健康であることをしっかり伝えましょう。業務上問題もなく、しっかり働けることを伝えれてあげれば、安心してもらえると思います。

 

 

以上になります。

 

 

 

就活って改めて自分と向き合う良い機会だと思います。

まずは自分自身が性別に捉われず、1人の人間として、

「どんな仕事をしたいか」「自分の強みは何なのか」向き合ってみましょう。

 

就活は誰しもが悩むものなので、めげずに前向きに頑張って欲しいです。

僕もいま転職活動しているので、自分にも言い聞かせて頑張ります。

 

 

 

【埋没生活】大学から男性として過ごす

前回の記事に引き続き、今回は大学時代を振り返っていきたいと思います。

 

幼少期〜高校までの記事はこちら↓

transinform.hatenablog.jp

 

前回の記事の通り、高校3年で胸オペ、改名、ホルモン注射を開始しました。

ついに男性として生活をスタートした大学時代です。

大学以降に知り合った人には、基本カミングアウトをしていません。

楽しいことも、辛いことも、たくさんありましたが、今となってはいい思い出です。

 

 

大学側に交渉!通称名や性別の取り扱いについて

 

実は、入学前に大学へ問い合わせて、通称名が使えるかどうか、男性として通えるかどうか相談をしたことがありました。

結論、大学側は何もしてくれませんでした。

「戸籍上の変更があった場合、学生情報も変更することはできるが、それ以外は対応できない」との一点張り。「過去にもGIDの学生がいたが、その人も戸籍上変更していたので対応しました」とのことでした。

 

通称名は使えるものだと思っていた僕は急いで改名の手続きを済ませ、裁判所にも大学入学前に間に合うように急いでほしいとお願いしました。 

 

友人関係

夢に見ていた男性としての新生活。期待もありましたが、不安が大きかったです。

 

見た目

ホルモン注射をしたての自分は、ぱっとみ男性だけど、話してみると、「?」という感じだったと思います。だから、友達は欲しいけど、あんまり話したくないし、自分を深く知られるのが怖かったです。入学したてはサークルにも所属しなかったし、友人付き合いもかなり悪かったと思います。

 

大学2年以降は、かなり見た目が男性化してきたので、初対面の人と接することも怖くなくなりました。そこからは、友達が増えて、学校生活がすごい楽しくなりました。

男性としてコミュニティの中に存在するのは新鮮で、嬉しくて、なんとも言えない感情と充実感でした。

 

嘘をついてまで隠したかった

その頃の生活は、どうやったらFTMであることが友人にバレないか、ということばかり考えていて、何度も嘘をつきました。

 

男友達に温泉いこーよと誘われた時も、「体に火傷のあとがあって入れない」と嘘をついたり。

 

たまたま友人とトイレに行くタイミングが一緒になってしまった時は、小便器の前に立っておしっこするふりもしました。

 

自分の青春だった「元ソフト部」という肩書きも、「元野球部」とすり替えて、思い出を語りました。

 

とにかく、「自分の性別がバレそうな話題」にアンテナを貼りすぎて、毎日めちゃくちゃ疲れました。でもそれと同時に、男として社会に認められているような感覚で、すごく嬉しかったです。

男として、女子と話すことってこんなに幸せなんだな、とかそうゆう単純な感覚です(笑)

 

大学の授業でむかついた話

この時代になっても、大学の授業で点呼をとる教授が何人かいませんでしたか?

しかも男子は君付け、女子はさん付け。

酷いときは、男子には青いレポート、女子にはピンクのレポートを渡してくる教授なんかもいました。

 

完全に見た目は男なのに、戸籍上や生徒情報上では女性なので、「〇〇さん」と呼ばれたことが何度も。

むかついたので点呼の時は無視。講義が終わったらキレ気味に教授に説明しに行きました。

 

価値観の変わった留学

学生時代、フィリピンのセブ島、カナダのバンクーバーへ留学に行きました。

フィリピンは、1ヶ月間の滞在でしたが、いろんな生き方をする日本人にたくさん会いました。

会社やめて世界一周する人、夫婦で留学している人、ワーホリ前にフィリピンで語学を習得しにきた人、50代になって語学に目覚めた主婦のおばちゃん。いろんな人生があるんだなあと思いました。

自分のしたいことをしている大人たちがキラキラして見えて、めちゃくちゃかっこよく見えました。

 

カナダは3ヶ月間滞在しました。現地のLGBTコミュニティに混ざり、カナダ人のFTMの知り合いがたくさんできました。

感じたのは、やっぱりあっちの人はオープンだなということ。もちろん一概には言えないですが、カミングアウトのハードルは日本と比べて低いように感じました。

 

短い滞在期間ではありましたが、ブログには綴りきれないほど色んな経験をしました。

そして、それまで必死で隠していた自分を少しだけさらけ出せるようになりました。帰国したら、何か自分にできることをしよう、そう思えたのは間違いなく留学のおかげです。

 

帰国後、NPOで活動する

帰国後、NPO法人LGBTに関わる活動を行いました。

教育機関や企業へ出向き、「LGBT研修」といって、LGBTの基礎知識や自分の生い立ちなどを話すという活動内容です。人前で自分の性のことを話すことが無かったので、自分と向き合う機会になり、すごく良い経験でした。

また、そこで出会った人々がとても好きで、とても尊敬しています。埋没思考で「LGBTと自分」をできるだけ切り離すことだけを考えていた自分が、肯定的に自分の性別を考えられるようになったのは、NPOでの活動とそこで出会った人々の影響です。

 

 

 

戸籍変更に対しての考え

学生時代は、SRSをするという選択肢はありませんでした。男性として生活を送れてるので、必要性を全く感じていなかったからです。

 

また、留学費用や手術費用は、両親が負担してくれていたので、これ以上は迷惑をかけたくなかったという気持ちもあります。

もしするなら、社会人になって自分で貯めたお金で、手術をして戸籍変更をしようと思っていましたが、半年前にそれが実現しました。

 

 

 

 

 

4年間いろんなことがありすぎて、書ききれないので、次の記事では、

 

▶︎カミングアウトして面接に挑んだ「就活編」と、

▶︎4ヶ月間カミングアウト出来なかった「恋愛編」

 

に分けたいと思います。

 

 

【生い立ち】幼少期〜治療開始

こんにちは。

治療記録の為に記録していたブログですが、今回は自分自身について書いていこうと思います。

少し長くなるので、興味のある方だけでも。

自分の人生記録としてゆっくりしみじみ振り返ってみます。

 

竿無し管理者のプロフィール

1995年生まれの24歳、東京都出身、身長163センチ

 

好きなもの:

英語、旅、お酒、らーめん、歌う事、デート、節約

 

よく似ていると言われる人:

COWCOW多田鈴木良平

 

幼稚園・小学校

ありのまま生きていた時代

4人姉妹の1番下として生まれる。

小さい頃から仮面ライダーウルトラマン等の戦隊ものが好き。 友達は男女関係なくたくさんいて、元気で活発、見た目は完全に少年。

このときは自分が周りの人と何か違うとか、性別とか、恋愛とか、考えた事ありませんでした。両親はそんな僕を何も否定せず、本当に自由に育ててくれくれました。

一方、上の姉ちゃんたちは、かなりガーリー。化粧やオシャレは同年代と比べて、かなりませていた方なのかと記憶しています。ただ、末っ子の宿命で、上の子のおさがりを着させられたりすることは少なくともあったので、それは苦痛でした。

 

中学校

ソフトボール浸けの毎日

小学校4年生くらいから始めたソフトボールにどっぷりはまり、ソフトの強い中学校に越境入学することに。東京都大会で優勝したり、選抜チームに選ばれたり、全国制覇を本気で目指したりと、人生で一番青春していた時代でした。

その頃は髪も坊主に近く、肌も真っ黒で、制服を着ているとき以外は完全に男の子。でもスポーツしている女子って周りにそんな子だらけで、ソフトやめたらきっと髪も伸ばしてお姉ちゃん達みたいになるのかな?なんて思っていました。

 

墓場まで持っていこう

その頃もずっと女の子が好きでした。夢の中や妄想の中で一人称は「俺」。

胸があるのが嫌で嫌で、猫背にして歩いていたり、身体のラインが目立たない服を好んで着ていました。

でもその気持ちを誰にも話す事はありませんでしたし、墓場まで持っていこう、と思っていました。

 

高校【人生の分岐点】

ソフトを辞めた

高校になってソフトボールを辞めました。同じ中学の友達は、私立の強豪校に進学していましたが、僕は少し勉強して都立高校に入学しました。

理由はいくつかあるのですが、ソフトから離れれば女子っぽく、女子高生っぽくなれるのかな?なんて思っていました。むしろ一番大きい理由です。

でも、ソフトから離れても心が女性になることはありませんでした。

 

初めての彼女・カミングアウト 

高校2年生のとき、初めての彼女ができました。ただ、「好きだから付き合って!」と告白したわけでなく、仲良しの延長線上でそういう雰囲気になり付き合うことになりました。

きっと、友達の関係じゃなくなった瞬間、自分の中で「この人は自分を否定する大多数側の人間ではない」と安心したのかもしれません。その彼女にカミングアウトができたことがきっかけで、家族や友人にも自分の気持ちを少しずつ話せるようになりました。

17年間、ずーっと言えずにモヤモヤしていた事を人に話せたその日は、涙がとまりませんでした。

  

自分から周りとの関係を断った

自分のセクシュアリティと向き合うようになってからは、自暴自棄になりました。特に学校では、かなり尖っていたと思います。笑

「お前らには気持ちわかんねーだろ」とか「みんなは平凡でいいよな」とか常に思っていて、周りと距離を置いていたし、友達もどんどん減っていきました。今考えるとかなり性格わるいですね。家族との口数もだいぶ減りましたし、人生で初めて学校をさぼったのもこの時期でした。

友達に、お前変わったよね、とか結構言われて、それがめちゃくちゃショックだったの覚えています。けど自分の中ではそうするしか無かったんです。

 

家族にカミングアウト・カウンセリング開始

高校3年生の4月に家族にカミングアウトしました。リビングに家族を集め、卒業したらすぐに手術をしたい、と今後についても素直に話しました。

(このときのエピソードをまた別の記事にしようと思っています。)

数ヶ月後、都内の某精神科へカウンセリングに通い始めます。この時はがむしゃらでした。受験も高校の人間関係も家族も二の次で、とにかくGIDに関する情報収集とアルバイトに明け暮れました。

 

手術、改名、ホルモン、そして卒業

早く卒業したいとずっと思っていた高校生活。卒業と同時に本格的に治療を開始しました。

大学の入学前、山梨の病院で乳腺切除の手術を行いました。父が手術当日も入院中も付き添ってくれ、手術後は姉夫婦が山梨まで迎えに来てくれました。手術前日に、カミングアウトのメッセージを友達何人かに送ったのを今でも覚えてます。

 

その後、家庭裁判所で名前の変更手続きをしたのですが、このときは母親が付き添ってくれました。もともとはひらがなで「ひかる」という名前。今は漢字に改名をしてそのまま「ひかる」と読ませています。

その時、母親が「男女どっちでうまれてきても”ひかる”って名前にしようと思ってたのよ〜!でも漢字の方がかっこよくていいね。ひかるはひかるのまんまだしね。」と言ってくれました。

 こうやって振り返ると、家族の優しさとサポートがあっての今なのだと改めて感じます。

 

 

 

自分の性について

 

人生で一番辛かった時期は間違いなく高校3年生。

その時は辛くて辛くて、でも時間経つとどうにでもなりますね。

 SNS見てると年下のFTM君がマイナスなpostをしていて、自分にもこういう時代あったよなみたいなことも多々あります。僕が高校生のときも、年上のFTMのブログを読みあさって勇気づけられていました。

 

僕も性についてまだまだ悩みばかりですが、ブログでアウトプットして振り返りつつ少しでも参考になるシェアができればと思っています。

 最後まで読んで頂きありがとうございました!

 

【SRS後の変化】3ヶ月が経ちました

前回の記事から時間があいてしまいました、、、!

 

子宮卵巣摘出手術から3ヶ月経ったので、その後の身体の変化について書いていきます。

もちろん個人差はあることを前提に、少しでも参考にして頂けると嬉しいです。

 

ちなみに筆者の治療歴はこちら↓

・18歳〜ホルモン注射開始(現在6年目)

・18歳で胸オペ

・24歳(2019年9月)で内摘、戸籍変

 

 プラスの変化

  ①髭が濃くなる

別の記事でも書きましたが、育毛剤のおかげかもしれません。でも確実に生える範囲と毛の太さは変わりました!

 ちなみに過去記事はこちら🔻

transinform.hatenablog.jp

 

 

②ホルモン注射代が浮く

もともと3週間に1回125mgを打っていましたが、4週間に1回に。

また、戸籍変更をすると、病院によっては保険が適用になります。1500円で打っていましたが、病院を変えて1ヶ月に650円で打てるようになりました! 今後も死ぬまでずっと打っていくことを考えると、この値段の差は大きいです。

 

③生理になる心配がない

以前は、ホルのタイミングが不安定だとすぐに生理が来てしまいましたが、今は全く心配することが無くなりました。血が出る出ないの違いだけではなくて、精神的にずっと楽です。

 

④公的な手続きでめんどくさい思いをしない

前までは、病院の診察や選挙などで「あれ?」みたいな反応をされて、いちいち面倒くさいなって思ってたんですが、もうそれも無いです。

 

⑤パートナーと結婚の話を前向きにできる

これも結構大きいです。以前は結婚したいなって気持ちになっても、今はまだ公的に出来ないし、、みたいなモヤモヤは少なからずあったので、自分のしたいタイミングで結婚出来ると考えると気持ちも楽です。

 

 

 

マイナスの変化

 ①ニキビが増える

顔ではなく、首と胸元にかなり出来るようになりました。他の当事者のブログで、逆にニキビが改善されたという情報が多かったので、本当に体質によるものだと思います。

この状態が続くならエナルモンデポからネビドに変えようかなと悩み中です!

 

②トイレが近くなる

これはもしかしたら勘違いか、オジさんに近づいた証拠なのかもですが(笑)、真夜中にトイレで目覚める率がかなり上がりました。

子宮卵巣を摘出すると、膀胱や臓器が移動するので、術後1週間等はトイレが近くなります。ただ、3ヶ月経過してもトイレが近いままなので、いつになったら治るのかな?て感じです。

 

③ホットフラッシュがすごい

ホットフラッシュとは、突然体(特に顔や上半身)が熱くなり、汗が出てくるという症状で更年期障害の代表的な症状です。

ホルモンを定期的に打っていても、1日に1回は急に身体が火照って暑くなります。冬は体温調節が難しくて、周りが寒そうにしてる中自分だけ汗ばんでるみたいな事も多々。

 

 

 

 

結論、メリットもデメリットもあります。

戸籍変更をするにあたり、SRSをするかどうか当事者に選択肢を与えるべきだと改めて感じました。

ただ僕は、身体に多少の変化があっても、パートナーと自分のタイミングで家族になれる事や、コスト面、精神面考えても、オペして良かったなと思います。

 

 

それではトイレしたいので、ここまでで。

読んでいただきありがとうございました!