竿無し男子の治療記録

竿無し男子の人生記録

性同一性障害の治療情報、恋愛事情、日常など

【埋没生活】大学から男性として過ごす

前回の記事に引き続き、今回は大学時代を振り返っていきたいと思います。

 

幼少期〜高校までの記事はこちら↓

transinform.hatenablog.jp

 

前回の記事の通り、高校3年で胸オペ、改名、ホルモン注射を開始しました。

ついに男性として生活をスタートした大学時代です。

大学以降に知り合った人には、基本カミングアウトをしていません。

楽しいことも、辛いことも、たくさんありましたが、今となってはいい思い出です。

 

 

大学側に交渉!通称名や性別の取り扱いについて

 

実は、入学前に大学へ問い合わせて、通称名が使えるかどうか、男性として通えるかどうか相談をしたことがありました。

結論、大学側は何もしてくれませんでした。

「戸籍上の変更があった場合、学生情報も変更することはできるが、それ以外は対応できない」との一点張り。「過去にもGIDの学生がいたが、その人も戸籍上変更していたので対応しました」とのことでした。

 

通称名は使えるものだと思っていた僕は急いで改名の手続きを済ませ、裁判所にも大学入学前に間に合うように急いでほしいとお願いしました。 

 

友人関係

夢に見ていた男性としての新生活。期待もありましたが、不安が大きかったです。

 

見た目

ホルモン注射をしたての自分は、ぱっとみ男性だけど、話してみると、「?」という感じだったと思います。だから、友達は欲しいけど、あんまり話したくないし、自分を深く知られるのが怖かったです。入学したてはサークルにも所属しなかったし、友人付き合いもかなり悪かったと思います。

 

大学2年以降は、かなり見た目が男性化してきたので、初対面の人と接することも怖くなくなりました。そこからは、友達が増えて、学校生活がすごい楽しくなりました。

男性としてコミュニティの中に存在するのは新鮮で、嬉しくて、なんとも言えない感情と充実感でした。

 

嘘をついてまで隠したかった

その頃の生活は、どうやったらFTMであることが友人にバレないか、ということばかり考えていて、何度も嘘をつきました。

 

男友達に温泉いこーよと誘われた時も、「体に火傷のあとがあって入れない」と嘘をついたり。

 

たまたま友人とトイレに行くタイミングが一緒になってしまった時は、小便器の前に立っておしっこするふりもしました。

 

自分の青春だった「元ソフト部」という肩書きも、「元野球部」とすり替えて、思い出を語りました。

 

とにかく、「自分の性別がバレそうな話題」にアンテナを貼りすぎて、毎日めちゃくちゃ疲れました。でもそれと同時に、男として社会に認められているような感覚で、すごく嬉しかったです。

男として、女子と話すことってこんなに幸せなんだな、とかそうゆう単純な感覚です(笑)

 

大学の授業でむかついた話

この時代になっても、大学の授業で点呼をとる教授が何人かいませんでしたか?

しかも男子は君付け、女子はさん付け。

酷いときは、男子には青いレポート、女子にはピンクのレポートを渡してくる教授なんかもいました。

 

完全に見た目は男なのに、戸籍上や生徒情報上では女性なので、「〇〇さん」と呼ばれたことが何度も。

むかついたので点呼の時は無視。講義が終わったらキレ気味に教授に説明しに行きました。

 

価値観の変わった留学

学生時代、フィリピンのセブ島、カナダのバンクーバーへ留学に行きました。

フィリピンは、1ヶ月間の滞在でしたが、いろんな生き方をする日本人にたくさん会いました。

会社やめて世界一周する人、夫婦で留学している人、ワーホリ前にフィリピンで語学を習得しにきた人、50代になって語学に目覚めた主婦のおばちゃん。いろんな人生があるんだなあと思いました。

自分のしたいことをしている大人たちがキラキラして見えて、めちゃくちゃかっこよく見えました。

 

カナダは3ヶ月間滞在しました。現地のLGBTコミュニティに混ざり、カナダ人のFTMの知り合いがたくさんできました。

感じたのは、やっぱりあっちの人はオープンだなということ。もちろん一概には言えないですが、カミングアウトのハードルは日本と比べて低いように感じました。

 

短い滞在期間ではありましたが、ブログには綴りきれないほど色んな経験をしました。

そして、それまで必死で隠していた自分を少しだけさらけ出せるようになりました。帰国したら、何か自分にできることをしよう、そう思えたのは間違いなく留学のおかげです。

 

帰国後、NPOで活動する

帰国後、NPO法人LGBTに関わる活動を行いました。

教育機関や企業へ出向き、「LGBT研修」といって、LGBTの基礎知識や自分の生い立ちなどを話すという活動内容です。人前で自分の性のことを話すことが無かったので、自分と向き合う機会になり、すごく良い経験でした。

また、そこで出会った人々がとても好きで、とても尊敬しています。埋没思考で「LGBTと自分」をできるだけ切り離すことだけを考えていた自分が、肯定的に自分の性別を考えられるようになったのは、NPOでの活動とそこで出会った人々の影響です。

 

 

 

戸籍変更に対しての考え

学生時代は、SRSをするという選択肢はありませんでした。男性として生活を送れてるので、必要性を全く感じていなかったからです。

 

また、留学費用や手術費用は、両親が負担してくれていたので、これ以上は迷惑をかけたくなかったという気持ちもあります。

もしするなら、社会人になって自分で貯めたお金で、手術をして戸籍変更をしようと思っていましたが、半年前にそれが実現しました。

 

 

 

 

 

4年間いろんなことがありすぎて、書ききれないので、次の記事では、

 

▶︎カミングアウトして面接に挑んだ「就活編」と、

▶︎4ヶ月間カミングアウト出来なかった「恋愛編」

 

に分けたいと思います。