竿無し男子の治療記録

竿無し男子の人生記録

性同一性障害の治療情報、恋愛事情、日常など

【生い立ち】幼少期〜治療開始

こんにちは。

治療記録の為に記録していたブログですが、今回は自分自身について書いていこうと思います。

少し長くなるので、興味のある方だけでも。

自分の人生記録としてゆっくりしみじみ振り返ってみます。

 

竿無し管理者のプロフィール

1995年生まれの24歳、東京都出身、身長163センチ

 

好きなもの:

英語、旅、お酒、らーめん、歌う事、デート、節約

 

よく似ていると言われる人:

COWCOW多田鈴木良平

 

幼稚園・小学校

ありのまま生きていた時代

4人姉妹の1番下として生まれる。

小さい頃から仮面ライダーウルトラマン等の戦隊ものが好き。 友達は男女関係なくたくさんいて、元気で活発、見た目は完全に少年。

このときは自分が周りの人と何か違うとか、性別とか、恋愛とか、考えた事ありませんでした。両親はそんな僕を何も否定せず、本当に自由に育ててくれくれました。

一方、上の姉ちゃんたちは、かなりガーリー。化粧やオシャレは同年代と比べて、かなりませていた方なのかと記憶しています。ただ、末っ子の宿命で、上の子のおさがりを着させられたりすることは少なくともあったので、それは苦痛でした。

 

中学校

ソフトボール浸けの毎日

小学校4年生くらいから始めたソフトボールにどっぷりはまり、ソフトの強い中学校に越境入学することに。東京都大会で優勝したり、選抜チームに選ばれたり、全国制覇を本気で目指したりと、人生で一番青春していた時代でした。

その頃は髪も坊主に近く、肌も真っ黒で、制服を着ているとき以外は完全に男の子。でもスポーツしている女子って周りにそんな子だらけで、ソフトやめたらきっと髪も伸ばしてお姉ちゃん達みたいになるのかな?なんて思っていました。

 

墓場まで持っていこう

その頃もずっと女の子が好きでした。夢の中や妄想の中で一人称は「俺」。

胸があるのが嫌で嫌で、猫背にして歩いていたり、身体のラインが目立たない服を好んで着ていました。

でもその気持ちを誰にも話す事はありませんでしたし、墓場まで持っていこう、と思っていました。

 

高校【人生の分岐点】

ソフトを辞めた

高校になってソフトボールを辞めました。同じ中学の友達は、私立の強豪校に進学していましたが、僕は少し勉強して都立高校に入学しました。

理由はいくつかあるのですが、ソフトから離れれば女子っぽく、女子高生っぽくなれるのかな?なんて思っていました。むしろ一番大きい理由です。

でも、ソフトから離れても心が女性になることはありませんでした。

 

初めての彼女・カミングアウト 

高校2年生のとき、初めての彼女ができました。ただ、「好きだから付き合って!」と告白したわけでなく、仲良しの延長線上でそういう雰囲気になり付き合うことになりました。

きっと、友達の関係じゃなくなった瞬間、自分の中で「この人は自分を否定する大多数側の人間ではない」と安心したのかもしれません。その彼女にカミングアウトができたことがきっかけで、家族や友人にも自分の気持ちを少しずつ話せるようになりました。

17年間、ずーっと言えずにモヤモヤしていた事を人に話せたその日は、涙がとまりませんでした。

  

自分から周りとの関係を断った

自分のセクシュアリティと向き合うようになってからは、自暴自棄になりました。特に学校では、かなり尖っていたと思います。笑

「お前らには気持ちわかんねーだろ」とか「みんなは平凡でいいよな」とか常に思っていて、周りと距離を置いていたし、友達もどんどん減っていきました。今考えるとかなり性格わるいですね。家族との口数もだいぶ減りましたし、人生で初めて学校をさぼったのもこの時期でした。

友達に、お前変わったよね、とか結構言われて、それがめちゃくちゃショックだったの覚えています。けど自分の中ではそうするしか無かったんです。

 

家族にカミングアウト・カウンセリング開始

高校3年生の4月に家族にカミングアウトしました。リビングに家族を集め、卒業したらすぐに手術をしたい、と今後についても素直に話しました。

(このときのエピソードをまた別の記事にしようと思っています。)

数ヶ月後、都内の某精神科へカウンセリングに通い始めます。この時はがむしゃらでした。受験も高校の人間関係も家族も二の次で、とにかくGIDに関する情報収集とアルバイトに明け暮れました。

 

手術、改名、ホルモン、そして卒業

早く卒業したいとずっと思っていた高校生活。卒業と同時に本格的に治療を開始しました。

大学の入学前、山梨の病院で乳腺切除の手術を行いました。父が手術当日も入院中も付き添ってくれ、手術後は姉夫婦が山梨まで迎えに来てくれました。手術前日に、カミングアウトのメッセージを友達何人かに送ったのを今でも覚えてます。

 

その後、家庭裁判所で名前の変更手続きをしたのですが、このときは母親が付き添ってくれました。もともとはひらがなで「ひかる」という名前。今は漢字に改名をしてそのまま「ひかる」と読ませています。

その時、母親が「男女どっちでうまれてきても”ひかる”って名前にしようと思ってたのよ〜!でも漢字の方がかっこよくていいね。ひかるはひかるのまんまだしね。」と言ってくれました。

 こうやって振り返ると、家族の優しさとサポートがあっての今なのだと改めて感じます。

 

 

 

自分の性について

 

人生で一番辛かった時期は間違いなく高校3年生。

その時は辛くて辛くて、でも時間経つとどうにでもなりますね。

 SNS見てると年下のFTM君がマイナスなpostをしていて、自分にもこういう時代あったよなみたいなことも多々あります。僕が高校生のときも、年上のFTMのブログを読みあさって勇気づけられていました。

 

僕も性についてまだまだ悩みばかりですが、ブログでアウトプットして振り返りつつ少しでも参考になるシェアができればと思っています。

 最後まで読んで頂きありがとうございました!